醤油手帖

お醤油について書いていきます。 料理漫画に関してはhttp://mumu.hatenablog.comへ。お仕事の依頼とかはkei.sugimuraあっとgmail.comまでお願いします

RRRを4回見てあれこれあふれたものを書いてみた

『RRR』について語りたくてたまらない結果、めちゃめちゃ長い文章を書いてしまいました。最初は物語のネタばらしなしで進行していきますが、ここからネタばらしっぽいよ! というところは赤字で警告文を入れるようにします。

というか、こんな文章を読んでないで早く見に行って! 手遅れ(上映終了)になる前に!

rrr-movie.jp

まあ、時間が有り余っている人は読んで下さい。あ、ちなみにまだ普通の映画館で2回、IMAXレーザーで2回しか見ていないので、また見たら書き足したくなるかも!

めちゃめちゃに長いので(1万6000文字ぐらい。400文字/分換算で40分)目次を作ってみました。時間のあるときに少しずつ読んでいただけたらと!

最初にこれだけは知っておいた方がいいこと3つ

これはインド映画全般に言えることなんですが、インド人のジェスチャーに関するポイントです。主に首の振り方ですね。

日本では、Yesのときに首を縦に振りますよね。でもインドでは、正面を向いたまま左右に小首をかしげるように振る、というのがYesのジェスチャーになるんです。首をゆらゆらさせながら話したりするのには、Yesの意味が含まれているんですよ、ということを覚えておくと理解が早まります。

もうひとつは『RRR』に関することなんですが。

エンディングで知らない人が出てきたらそれは監督ですので、あれ? この人って本編に出てきたかな……? と思っても、本編には出ていないのでご安心下さい。

最後のひとつはあれです。トイレ問題。

映画は179分と長く、また劇中に「INTERRRVAL」があるのにトイレ休憩がない! と嘆いている人もいるのだとか。

大丈夫。トイレにいっちゃいましょう。何せ全編にわたってクライマックスが続くのですから、ひとつぐらいクライマックスを見逃しても何とかなります。トイレから戻ってきたら次なるクライマックスが待っていますよ!

あと、見逃した部分が出てきてしまったら、もう一度劇場に見に行けばいいのです。むしろ、2回目でまた新たな発見がある! ということで、トイレ問題は気にしなくて大丈夫!!

おおまかな「STORRRY」

お話を進めるために、まずは大まかなストーリーを共有しましょう。映画の公式ページに書いてあるレベルで、物語のネタばらしはほとんどないのでこれから見る人も安心な内容です。

舞台は1920年のインド。いわゆる、イギリスによる植民地時代です。イギリス人の暴力的な支配にインド人は苦しんでいました。

そんな中、英国領インド帝国総督スコット・バクストンによって、南インドのゴーンド族の少女がさらわれてしまいます。それに怒って立ち上がったのが、一人目の主人公コムラム・ビーム、通称「ビーム」です。必ずや少女を救い出すと誓い、ゴーンド族の村を後にしてデリー市中へ潜伏します。

もう一人の主人公はA・ラーマ・ラージュ、通称「ラーマ」。彼は警官としてイギリス人の配下につき、職務を全うします。一度決めたことはどんな困難なことであれ、炎のような苛烈さで成し遂げる男として描かれています。

二人は偶然出会い、無二の親友に。しかし、立場が異なる二人。ある事件をきっかけに、それぞれの宿命に切り裂かれていく……!

というのが物語の骨子です。

重要なのは3点。

  • 舞台は1920年のインド
  • 主人公の一人目はビーム
  • もう一人の主人公はラーマ

ということを覚えておいてください。

1920年のインドってどんなんだったの?

ストーリーのところでも少し触れたように、植民地時代です。しかも、だいぶひどいことになっているんですね。

というのも、1919年にローラット法という法律が制定されています。これがようはイギリスのインドに対する治安維持法で。令状なしで逮捕したりとか、裁判なしで投獄したりとか、やりたい放題なわけです。

作中もインド人に対してイギリス人兵士がかなりひどいことをやったりするシーンがあるんですが、その根拠がこのローラット法というわけですね。

あとは一応、もうちょっとだけ歴史的なことにも触れておきますと。みんな大好き(?)ラクシュミー・バーイーはこの少し前の時代の人です。1857〜8年のインド大反乱の指導者だったので。

ようするに、インド大反乱を始めとして、植民地支配に抵抗してテロ行為とかが起きまくったので治安維持法ができ、より締め付けが強くなっていったタイミングと考えるとわかりやすいでしょう。

主人公二人は実在の人物

で、その時代を生きた二人の主人公「ビーム」と「ラーマ」は実在の人物です。え? これ実話なの? と思われると、ちょっと悩ましいんですが、えーっと、あれです。実話は……10%……いや、5%ちょっとぐらい……ですかね。

実在のインド革命の英雄を、ラージャマウリ監督が大胆にアレンジした結果の主人公なのです。

ほら、ゲーム『FGO』でもアーサー王が女の子になっていたり、織田信長が女の子になっていたりするじゃないですか。あんな感じにアレンジ(性別は変わっていないんですが)と思ってください。

では実在の二人はどんな人だったのか。なんと、Wikipediaにも載っております。英雄ですから!

ja.wikipedia.org

ソースがWikipediaというのがあれではあるんですが、要約&映画に用語を合わせますと……

「ビーム」ことコムラム・ビーム(実在)は1900年もしくは1901〜1940年の人物。先住民族であるゴーンド族の出身です。他のゴーンド族の指導者と協力しながら小規模反乱を率いました。

1940年に武装警官に殺害されますが、死後は反乱の象徴として神格化され称えられるようにもなっています。侵略や搾取に対する感情の象徴として「Jal(水)、Jangal(森)、Zameen(土地)」というスローガンを掲げ、これが直接行動を起こすための呼びかけとして独立運動の旗頭になったためです。今でも命日には記念祭が行われています。

 

もう一方の「ラーマ」は残念ながら日本語のWikipediaがないので英語版を。Google翻訳万歳!

en.wikipedia.org

こちらも大雑把に要約&映画に用語を合わせますと……

「ラーマ」ことA・ラーマ・ラージュは正確にはアッルリー・シータラーム・ラージュです。ちょっとややこしいんですが、もともとはラーマ・ラージュであっていました。それが、友人の妹「シータ」とプラトニックな愛を育み、その名前を永遠に記憶に留めるために自分の名前の前につけて「シータラーマ(シータラーム)」と名乗るようになった、というわけです。1897(もしくは1898年)〜1924年の人物で、こちらもインドの革命家ですね。

父親であるヴェンカタ・ラーマ・ラージュはカメラマンで、ラーマが8歳のときに亡くなります。その後は伯父の援助を受けて大学に進むも中退。ただ、このときにテルグ語サンスクリット語ヒンディー語、英語、占星術、薬草学、手相占い、馬術を修めます。

高校時代から山岳民族であるコヤ族と交流を持ち、後に修めたさまざまな知識によって畏敬の念をもたれ、部族民の間で救世主的存在となります。

1882年にイギリス植民地政府が定めたマドラス森林法は、森林内での移動を制限したり、焼畑農法もできなくなるなど、部族の生活を立ちゆかなくさせる法律でした。そうして弾圧されていた部族民は救世主たるラーマの元に集まり団結。不服従運動だったのがだんだん反植民地主義武装闘争へとなっていきます。弓矢や槍などを駆使する武装勢力となり、当初は大きな戦果をあげました。勢いづいて、1922年には各地の警察署を襲う大規模な反乱にまでなります。ですが結局は反乱が鎮圧されて、ラーマは木に縛りつけられ銃殺されてしまいます。死後も敬われ、銅像や切手にまでなっています。

というわけで、二人とも実在の人物でした。

そして『RRR』は、この二人の英雄が、(名を揚げる前の)1920年に出会っていたら、というif物語なのです!

神話についてもちょこっとだけ

インド映画を見る際には神話を知っておいた方がちょっとだけ理解が進むことがあります。それはRRRも例外ではありません。

というのも、二人の主人公「ラーマ」と「ビーム」はそれぞれ神話が関係する名前なんですね。

「ラーマ」の方はもう簡単で、マハーバーラタと並ぶ叙事詩ラーマーヤナ」の主人公「ラーマ」と名前が同じなわけです。インド神話最大の英雄の一人ですね。実在の方のラーマも、彼のカリスマの一端は神話の方のラーマを呼び起こさせる名前だからだ、という話もあるぐらいです。

ラーマはラクシャサ(羅刹)の王ラーヴァナを倒すために生まれた、ヴィシュヌ神の分身の一人でもあります。ラーヴァナは人間でないと倒せないとされていたため、ヒンドゥー教最高神であるヴィシュヌ神がすべてを忘れて人間へと転生した姿が「ラーマ」とされているのです。

ラーマは妻である「シータ」をラクシャサによって略奪され、取り戻すために大戦争を起こす……というのが、だいたいのラーマのお話です。

もう一方の「ビーム」は、名前が似ているので一瞬混乱するかもしれないんですが、「ビーマ」をモチーフにしています。こちらはもう一方の叙事詩マハーバーラタ」に出てくる大英雄の一人です。

FGOをやっている人達にとってはアルジュナが一番有名だとは思うのですが、アルジュナはパーンダヴァと呼ばれる、パーンドゥ王の子ども五兄弟のうちの一人です。そのうちの次兄がビーマで、つまりアルジュナ(三男)のお兄さんというわけです。

幼少の頃から超人的な怪力の持ち主で、格闘などに優れた才能を発揮しました。今でもインドでは怪力の持ち主を「ビーマ」と呼ぶぐらい、親しまれているし、有名なんです。

というわけで、映画を見ていると、歌の中で「ビーマ」という単語が出てくる箇所があります。これはビームのことを誤訳したとか誤字をしてしまったというわけではなく、ビームをマハーバーラタの大英雄ビーマになぞらえて歌っている、というシーンなわけです。その証拠に、同じ歌の中にアルジュナの名前も出てくるんです。

……というのを基礎知識編にして、いよいよここからネタばらしありでいきましょう。

ここからネタばらしありでいきます

タイトルはそれを考慮して抽象的になります

言語の話

インド映画ファンにはおなじみなんですが、インドが多言語で多民族な国家であることから、映画界も大きく分かれています。言語だけでなく地域もわかれているのがポイントです。

それぞれの地域では映画を作っている主要な都市に合わせて、ハリウッドにあやかった名前がついているのです。

ちなみにトリウッドは、もうひとつトリガンジ地区のものもトリウッドと呼ばれるのですがこれはベンガル語圏なので別物です。ややこしいですよね。他にもマラヤーラム語圏とかあったりします。

とりあえずは、主に北部がヒンディー語南部がタミル語テルグ語と覚えておきましょう。

我らが『RRR』はテルグ語の映画なのです。したがって、RRRをボリウッドというのは間違いなんですね。

同じ国なんだから、標準語と関西弁ぐらいの違いなんじゃないの? と思うかもしれませんが、これが結構違ったりします。なので、RRRの作中でもおそらくテルグ語ヒンディー語に翻訳したりするシーン(講堂で話している、ラーマが肩をつかまれるあのシーン)とかありましたよね。

映画でももちろん違うので、たとえばテルグ語で作られた映画をヒンディー語でリメイクしたり、ヒンディー語の映画をタミル語でリメイクしたりとか、しょっちゅう行われています。

そのため、『RRR』は「テルグ語」で撮影された後に、「ヒンディー語」で吹き替えをしているバージョンもあります。もちろんタミル語マラヤーラム語版もあります。これは声優さんが吹き替えたり(しゃべれる俳優だと本人が吹き替えをします)、歌手が別な人になってヒンディー語で歌い上げたりしているのですね。

ちなみに規模としてはヒンディー語圏のボリウッドが圧倒的に多いので、インド映画=ボリウッドというのも、多数決の原理でいうとあながち間違いではないような気分になるので目くじらをたてたりはしないんですが、その辺はやっぱりきちんと言いたいところですよね。ちなみに、テルグ語圏なトリウッドは二番目の規模だったりします。

ヒンディー語の話者は、インドだけでなくて世界的にも圧倒的に多いので、海外で上映されたりNetflixで配信されるのはヒンディー語吹き替えバージョンが圧倒的に多いのです。そして、そのヒンディー語をベースにして字幕がついたりしているのですね。

でもヒンディー語だろうとテルグ語だろうと、わからないことには変わりが無いので、我々が見るときは日本語字幕がつくからそんなに変わらないような気もします。まあ、そうなんです。そうなんですが、なんとなく、特にダンスシーンの歌詞はヒンディー語になるとちょっとポップな印象を受けるんですよ。北部(ヒンディー語圏)と南部(テルグ語圏)の文化の違いなのかもしれないのですが。

例を挙げてみましょう。

みんな大好き「ナートゥ」ダンス

我々インド映画ファンは、インドで情報公開されてから、公式から漏れ出るYouTubeなどを食い入るように見ては日本上映を心待ちにしておりました。もちろん、ナートゥダンスも先に公開されていたのです。

いったいどういうシチュエーションなんだろう、というか体幹のブレなさがすごい、人類はこんなにも素早く手足を動かせるのかと思いながら見ていたところ、Netflixフィリピンがヒンディー語(なのでNaatuではなくNaacho)の英語歌詞入りバージョンを公開してくれたのです!

www.youtube.com

前後の状況がわからないけれども、こういう歌詞なのか……!

と思いながら4カ月ほど見まくっていたのですが、いざ日本でテルグ語音声日本語字幕で上映されると、これがずいぶんと印象が変わります。

というのも後から知ったのですが、ヒンディー語になった段階でニュアンスがだいぶ違ったんですよ。

Naatuはテルグ語では「地元・ワイルド」といった意味合いがあります。これがヒンディー語になるとDesi Naach(インドの踊り)と訳されたのです。そして英語字幕はヒンディー語をベースにしているのでした。

ちょっと引用してみましょう。()内は適当につけた訳です。間違っていたらごめんなさい。

Dance up a storm
Like a bull racing down a dirt road
(ダートを疾走する雄牛のように、嵐を舞い上げて踊れ)

Dance to the beat of drums,
With pumping adrenaline
(太鼓のビートに合わせ、アドレナリンを出して踊れ)

If there is anyone who can fly faster
Than an arrow, then dance
(矢より早く飛べる人がいたら、踊れ)

Dance like the horse in the stables
That breaks free of its reins
(厩舎の中の馬のように踊れ そして手綱から解放される)

Till the land, make a big roti,
eat chillies and dance like this!
(大地まで広がる大きなロティを作り、唐辛子を食べて、こうやって踊ろう)

Come my boy
Come white guy
Come, my boy

Dance, dance, dance
Crazy dance
(踊れ踊れ踊れクレイジーダンス)

Dance, dance, dance
Dance wildly
(踊れ踊れ踊れ 荒々しく踊れ)

Dance as tangy as apiece of raw mango!
(生のマンゴーのようにピリッと踊れ!)

Dance, dance, dance
Like the bite of a scorpion
(踊れ踊れ踊れ サソリに噛まれたように踊れ)

「踊れ」が強調された歌になっていますよね。

そしていざ日本で上映されて、映画館に朝一で行って、びっくりしました。歌詞の日本語が、地元への誇りに満ちていて美しい……!

配給元のツインさんが日本語歌詞付きの部分を1分ほど公開してくれているので、そちらからも引用してみましょう。ちなみに上記英語版と同じ箇所です。

www.youtube.com

土煙を上げて猛進する雄牛

母神に捧げる渾身の踊り

サンダル履きの大立ち回り

木陰で悪巧みする若い衆

あるいはトウガラシ入りの雑穀パン

まあ聴け
この曲を
この歌を

ナートゥ それは英雄の歌
ナートゥ それは故郷のダンス
ナートゥ 刺激強めのインドの歌
ナートゥ 切れ味鋭い野生のダンス

今回の日本語訳の素晴らしすぎるところは、そのまま日本語で歌えるぐらい音の数とリズムが合っているんですね。まさに、考え抜かれた職人技。

テルグ語ヒンディー語→英語だと、やはりどうしても伝言ゲーム感が出てしまうんじゃ無いかと思うんです。

テルグ語→日本語だと、やはり微妙なニュアンスやエッセンスを取りこぼさず、過不足なくおさめているという印象があります。

これはもう、翻訳の藤井美佳先生とテルグ語監修の山田桂子先生のご尽力の賜物でしょう。

監修の山田先生にはこんなエピソードがあります。

blog.goo.ne.jp

ラージャマウリ監督がバーフバリで来日された際に、日本では字幕がとても大切なのでスクリプト(台本)をお願いした、と。ところが撮影時にバンバン変えてしまうので、正式な台本がなかった。そこで監督はわざわざ映画の完成版を聞き取って文章に起こし、送ってくれたというわけです。

『バーフバリ』の訳も相当に素晴らしかったのですが、『RRR』の字幕でさらに精度を増した感があるのはこういう理由があったのですね。というわけで、本当に今作は字幕の美しさ、リズムにも注目してもらいたいです。

言語関連で一番エモい(と思う)ところ

エンディングで、ビームがラーマに「読み書きを教えてくれ」というシーンがあるじゃないですか。まあ、この歌の冒頭のシーンですよ。

www.youtube.com

ここでラーマが書いた文字、気になりますよね。

上記の動画には出てこないんですが、映画版だと途中でラーマの帰還、ビームの帰還が描かれます。ビームの帰還の際に、日本語訳が出てくるので、勘のいい人はお気づきでしょう。

  • जल :ジャル(水)
  • जंगल :ジャンガル(森)
  • ज़मीन :ザミーン(土地)

と、書いてあるのです。

さてここで、先頭の方の実在の人物だったという話のところを思い出してください。ビームのところにはこんな記述があります。

侵略や搾取に対する感情の象徴として「Jal(水)、Jangal(森)、Zameen(土地)」というスローガンを掲げ

そう、実在のコムラム・ビームが独立戦争で掲げたスローガンなのです!

この映画はコムラム・ビームとA・ラーマ・ラージュが1920年に出会っていたら、というif物という話をしました。

つまり、ゴーンド族出身のビームが「祖国のために戦う」という大義に目覚め、自分の無知を痛感し、読み書きを教えて欲しいとラーマに頼んで教わった言葉「ジャル・ジャンガル・ザミーン」をスローガンにすればいいというシーンなのです!

なので、もう一度エンディングを見ているときに注意してビームの帰還のシーンを見てください。ラーマに書いてもらった旗を見て、ビームが「はっ」と、何かに気づくところがばっちりと描かれています。

もうね、海外の批評家とかが「実際のコムラム・ビームは学があったのでラーマに教わったとは限らない」とか言っているんですが、いいんですよ! これはエンターテインメント! 史実じゃない! 実在のラーマは無限に矢を放ったりしない(多分)し、実在のビームは素手で虎をつかまえたりしない(多分)んですよ!!

ここでこう史実をつなげてくるかというところと、二人の絆と信頼が後々まで続くというシーンなんです。もう、素直に劇場で身悶えしながら見ればいいんです!!!

主要な俳優について

2人のスターが夢の共演! ということをうたっているレビューもあるのですが、どの辺がどうスターなのか、ちょっと自分にわかる範囲であれこれ書いてみます。

NTR Jr.(コムラム・ビーム役)

コムラム・ビーム役のNTR Jr.。略さないで書くと、ナンダムーリ・タラーカ・ラーマ・ラオ・ジュニアです。N・T・ラーマ・ラオ・ジュニアと呼ばれるのが多いのかな。スタッフロールとかではNTR表記でしたね。

祖父がテルグ語映画圏の黄金期、1950〜60年代に活躍したN・T・ラーマ・ラオです。俳優としても有名でしたが映画監督、プロデューサーなども務め、1980年代には政党を結成して政治活動に入ります。アーンドラ・プラデーシュ州(2014年にテランガーナ州が分離独立しました)の首相を1983年から1995年まで務めていた、というぐらいの超有名人です。残念ながら1996年に亡くなっています。

お父さんも俳優であり、政治家でもあるナンダームリ・ハリクリシュナ。こちらも祖父の政党に入り、アーンドラ・プラデーシュ州からテランガーナ州が分離独立する決議に反対する2013年に政治家を引退しています。ちなみに、惜しくも2018年に交通事故で亡くなられています。

そんな芸能一家の出身なわけです。そして、今ではテルグ語映画圏のトップスターというわけですね。

演技もさることながら、抜群の身体能力とキレッキレのダンスで有名な方です。まあ、ナートゥを見た人はもう知っていると思いますが。めちゃめちゃ激しい動きをしても体幹がブレないんですよね。

日本では『RRR』の前にニコニコ動画の『進撃のインド人』で有名になっていたりもします。ちなみにこれは本人(NTR Jr.)巡回済。

www.youtube.com

このキレッキレのダンスの人が、『RRR』のビームなんですよ!

ちなみに進撃のインド人が何の映画からとられているかはわかりませんでした。すみません。NTR Jr.の作品全部見れてないんです……

ラーム・チャラン(A・ラーマ・ラージュ役)

ラーマ役のラーム・チャランもNTR Jr.に負けず劣らずのサラブレッドといいますか。父がテルグ語圏のトップスター、チランジーヴィです。

チランジーヴィは1980年から活躍し続けている、通称「MEGA STAR」。インド南部ではタミル語圏の「SUPER STAR」ことラジニ・カーント(『ムトゥ踊るマハラジャ』、『ロボット』でもおなじみ)が有名ですが、人気を二分していたのがこのチランジーヴィなんですね。タミル語圏のラジニ・カーント、テルグ語圏のチランジーヴィといった感じです。

ちなみにチランジーヴィは芸名で、ハヌマーン信仰における「不滅」を意味する言葉だったりします。高い演技力とキレのあるアクションやブレイクダンスなどで不滅の人気を確立したのですね。1990年代から2000年代初頭にかけては特に人気が絶大で、3年ぐらい連続して所得税最高納税者として勲章をもらったほど(これが人気のバロメーターかというとあれですが、最高ランクの出演料でもひっきりなしに出演するほど人気があった結果、というやつです)

そんな父を持つラーム・チャランも人気は絶大で、今では父にあやかって「MEGA POWER STAR」と呼ばれることもあるほどだとか。ちなみに父親とは2作で共演していて、そのうち1作は『RRR』と同じくS.S.ラージャマウリ監督の『マガディーラ』(2009年の作品)です。今ならAmazonプライムで見られたりするので、見ましょう!

https://www.amazon.co.jp/dp/B09RK4F4FX

『マガディーラ』内でのわかりにくいギャグで、ラーム・チャラン演じる主役の人が名前を聞かれるシーンがあります。そこで「チランジーヴィ」と偽名を答えるのですが、これが父親でありメガスターの名前を言っている、というわけなんですね。あと、『マガディーラ』を見ていて誰がチランジーヴィかわからないと不安になるかもしれませんが、そこもご安心ください。不自然な「M・E・G・A! MEGASTAR!」という歌と共に登場する人がチランジーヴィです。

ラーム・チャランの魅力は、やっぱり「目」じゃないでしょうか。哲学的な、物憂げで、神秘的な眼差し。NTR Jr.のまっすぐな目もいいんですが、ラーム・チャランはまた違う魅力にあふれています。本作のラーマの、大義を胸に秘めて警察官として活動する葛藤も苦悩もすべて目で魅せてくれるのが、もう最高です。

という二人のテルグ語圏のトップスターが採用されたというわけです。

どちらもラージャマウリ監督作品に出演経験があり、またヒットするきっかけにもなったという。しかも監督は、この二人を主人公に当て書きをして脚本を作りました。魅力を知り尽くした監督が、二人を存分に生かすようにビームとラーマを作りあげたのですから、そりゃあもう魅力的になるわけですよ!

一方の女性陣ですが、こちらはちょっと複雑といいますか何といいますか。

まず、一番出番が多い、ジェニー(イギリス総督の姪)役のオリヴィア・モリスさんなんですが、イギリスの映画には全然詳しくないのでよくわかっていません……申し訳ない……パンフレットにも載っていませんし……

ラージャマウリ監督がイギリスの俳優さんにオファーを出すときのルールがわからず、直接(オリヴィア・モリスさんではなく別の)女優さんにオファーを出したところ、イギリスではキャスティング・エージェンシーを通さなければならなかったということを後で知り、エージェンシーに改めて出したオファーでもらったリストから選んだ女優さんだそうです。

jp.ign.com

もう一方のヒロイン、シータはインドでも有名な女優さんです。

アーリヤー・バット(シータ役)

こちらも映画監督マヘーシュ・バットと女優のソニ・ラズダンの間に生まれた、芸能一家で育った女優さんです。ヒンディー語圏の、いわゆるボリウッド映画界のトップ女優ですね。

そう、今回出演しているのは、テルグ語圏の女優さんではなく、ヒンディー語圏の女優さんなんです。大雑把な区分けにはなるんですが、北部の方がどちらかというとヨーロッパ圏の血が入っていることが多いこともあって、やや面長な顔立ちに。南部の方がやや丸顔の傾向があります。さらには、北部の方の方がやや色白に、南部の人の方が肌の色が濃い傾向があります。バーフバリ二部作のヒロイン、アヴァンティカ(タマンナーさん)が北部の女優、デーヴァセーナ(アヌシュカ・シェッティさん)が南部の女優と見るとわかりやすいかもしれません。

で、アーリヤー・バットさんは北部のトップ女優なんですね。今もっとも稼ぐ(人気のある)インドの女優と言われていて、日本でも結構熱烈なファンがいたりします。

この方はもともと「芯が強いインドの女性」を演じることが多く、定評があり、そういうイメージがあるのです。今回のシータ役はどうしても話の都合上、二人の主人公を描かなければならない時間が多いため、相対的に出演時間が短くなってしまっているのですが、その中でも鮮烈なイメージを残せるような人ということでキャスティングされたのだとか。

というのも、演技力がやっぱり凄すぎるんですよ。今回の役はテルグ語で話さなければならないんですが、アーリヤー・バットさんはテルグ語を全く知らなかったそうです。ボリウッド女優ですし。

それでも演技が素晴らしいので是非と熱望され、結果、台本のテルグ語を完璧に覚えて演じきってその期待に応えたというわけです。

なので、本編の出演時間が短くても、エンディングでジェニー役のオリヴィア・モリスさんを差し置いて(?)あんなにも中心になって踊っているのはそういう事情もあるのでした。

ちなみに今、アーリヤー・バットさんが出た映画を見るのだと……一番お手軽なのは、Amazonプライムの「ガリーボーイ」かなあ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B09QGGNX8F

日本では2019年に公開された映画なんですが、実在のインドのラッパー「ディヴィン」と「ネイジー」の半生をモデルにしています。アーリヤー・バットさんはヒロインのサフィナ役で出ていますね。

ラップ部分の字幕はいとうせいこうさんが監修していて、かなり完成度が高く、しっかり韻を踏んだものになっていますよ!(吹き替えはまだ見ていないので今度見てみます)

撮影は全て本人?!

今回『RRR』上映のプロモーションとして、日本でのバーフバリのヒットもあって、S.S.ラージャマウリ監督と、さらにはNTR Jr.、ラーム・チャランの主役二人までが来日してたくさんのインタビューに答えてくれました。

中でも撮影に関してこのインタビューが興味深かったです。

lee.hpplus.jp

基本的にCGもスタントもなしで、全部自分達で撮影したと!

(厳密にはとても遠くからの撮影で俳優がやる必要がないシーンは替わりの俳優で撮影しているシーンがある)

あと、このMayoさんのインタビューによるとなんですが

www.youtube.com

「僕たちが撮影セットに入る前に、監督は全てのアクション、戦いの動き、ロープで吊されてみる、などを自分でやってみて確認をします。その姿を見て『やばいぞ、僕たち、もう何も言えないよ……』って思うんだ」

監督も実際にやっていた!

『バーフバリ』のメイキングで監督がやっているシーンがあったような記憶があるんですが、今もなおやっていたとは。

ありえないようなアクションシーンを撮るのは難しくないですか、という質問には「そういうシーンはアクションと演技のうまい俳優がいれば、撮るのは難しくはありません。そのために俳優に苦しんでもらうことにはなりますが、それはいいのです」と答えているんですが、そりゃ、監督自ら全部やっていたらもう何も言えないとなりますよね。

それに関連して、

「大事なことは物語の流れの中で、観客に「ここでヒーローに何かやってもらいたい!」と思わせること。そのため、大きなアクションのために、きちんと前置きをして、観客を引き込み、観客に気持ちの準備をしてもらいます。つまり、アクションをすごい、納得力がある! と思ってもらう秘訣はアクションそのものではなく、アクションまでの演出にあるのです」

とも言っています。

バーフバリはもちろん、他の作品もそうなんですが、やっぱりラージャマウリ監督作品の魅力のひとつに緻密な構成があるんですよ。見返せば見返すほど、ここのシーンのこれはこういう意味だったのか! とわかるポイントがあるんです。

だってみんな、2回目に見たときに(全世界の人が複数回見ていると思い込んでいます)、ラーマの肩に手が置かれたとき、指の先を注視しちゃったでしょ?

ストーリー構成の話

というわけで、構成の話を。

ラージャマウリ監督作品は、やっぱり緻密な構造がすごいわけです。『バーフバリ』でも『伝説誕生』と『王の凱旋』で対になっているシーンがかなりあったりしましたよね。もちろん『RRR』でもそれはあるわけです。

一番は、やっぱり冒頭の子供を助けるシーンでしょう!

www.youtube.com

国を救う大義を胸に秘めたラーマが「旗」を持ち、
さらわれた妹を救いたいビームが「子供」を助け。

そしてそれを交換することで、後にラーマが「親友とその妹」を助け、ビームが「国を救う大義」に目覚めることを暗示しているわけです。

いやー、しびれますね!

アクションのすごさからこのシーンがポスターに使われたり予告編に使われたりすることも多いし、「握手」がテーマになっているということはあるかもしれないんですが、このシーンほどこの物語が凝縮されているところはないのではないかと!

他には、みんな大好き肩車シーンも忘れてはなりません。

出会った最初に友情を育んでいる歌の中で、スクワットをやるシーンが出てきますよね。

www.youtube.com

ここの4:44ぐらいです。

そして、ナートゥダンスで足を痛めたビームをラーマが背負うシーンが、何も知らないでいた二人の純粋な友情の最後のシーンになるわけです。

そして、いろいろあってまた二人の友情が復活すると、その証としてビームがラーマを肩車するのです! 新たな友情は、肩車から始まる……!

他にも、いちいちこのあとに生じることを暗示させるシーンが差し挟まれるので、行動にストレスを感じることなく見られるというのはやはり大きいです。

総督が握手をした際に、かすかに火薬が手についたのでラーマの裏切りを疑うシーンとか。見れば見るほど発見があるので、まだまだ見に行くことになりそうです。もうちょっとの間上映してくれ……!

神話的なシーンの話

最後の、神話の英雄再臨! といったあの戦いについてあれこれ書こうと思ったのですが、天竺奇譚先生のこのnoteが僕よりも数百倍も詳しくあれこれ書いているのでこれを見るのが早いです!

note.com

というのでまとめちゃうとあれなんでちょっとだけ書きますと。

ラーマ(神話)は「オレンジ色の衣」をまとった修行者の姿で表されて……とあるので、ラーマ(映画)を横たえたところにあった神像は、やっぱりラーマだったんじゃないかなと思います。もしくは話の流れ的にはヴィシュヌ神なんですが、ヴィシュヌ神は青い肌で四本の腕を持つ姿が有名なので、あの弓と矢を持っているのは違うんじゃないかと思っています。

ラーマへの信仰はかなり篤く、かのガンディーさんも死の間際に「ヘー・ラーム」(神よ)と言ったのですが、これもラーマのことを指しているのです。この辺のつながりも深読みをすると熱いですよね!

そんなラーマの神像で、(後に「ラーマ」神と重ねて見られて英雄になる)ラーマが、文字通りその身に神を降臨させてラーマ神もかくやという大活躍をするわけです。もう、胸が熱くなるどころの話じゃない!

もう一方のビーマの方も少しだけ。

ビーマは「マハーバーラタ」におけるパーンダヴァ五兄弟の一人、つまりパーンドゥ王の五人の子供の一人なんですが、父親は全員パーンドゥ王ではありません。というのも、パーンドゥ王は若い頃に受けた呪いのため、女性に触れなかったからです。

じゃあ、どうして子供がいるのか。

第一王妃のクンティーが、若かりし頃に神々を呼び出すマントラ(使用限度:5回)を授かっていたのでした。これで神々を呼び出すと、その神との間に子供を授かれるというマントラです。

というわけで、クンティーマントラを使うのです。上から順番に書きますと……

  • ダルマ神を呼び出し、ユディシュトラを産む
  • 風神ヴァーユを呼び出し、ビーマを産む
  • 雷神インドラを呼び出し、アルジュナを産む

というわけで、3人の王子を産んだのです。

そして第二王妃マードリーも、当然パーンドゥ王との間に子供ができないので、クンティーはマードリーのためにも神を呼び出します。

  • アシュヴィン双神を呼び出し、マードリーはナクラとサハデーヴァという双子の王子を産む

最後に呼び出されたこのアシュヴィン双神は医術の神であり、双子の神だったため、二柱同時に呼び出されてマードリーとの間に双子をつくったというわけなのです。

ここまでで4回で、あと1回残っている気がしますよね。でも、クンティーはこのマントラを授かった際に好奇心で太陽神スーリヤを呼び出してしまったため、スーリヤとの間に子供が生まれていたのです。

  • 太陽神スーリヤを呼び出し、カルナを産む

というわけで、カルナとアルジュナは二人ともクンティーから産まれたため異父兄弟と呼ばれているのですが、実はビーマともカルナは異父兄弟だったわけです。

で、まあ、それぞれの息子は当然父神の化身でもあるわけなので、みんな超人的な力を発揮しているのですが、とりわけビーマは怪力無双で有名だったというわけです。

ラーマの配下で、ラーマを担いで移動したりしていたハヌマーン神も風神ヴァーユの息子なので、兄弟そろってラーマをかつぐのが大好き! と思うともう、たまりませんね。

エンディングの話

エンディングのスタッフロールダンスで「○○の雄牛」として8人の英雄が映されています。この8人が誰でどういう人かはパンフレットに詳しく載っているんですが、とりあえず名前だけ引用します(詳しく知りたい人はパンフレットを買いましょう)

  1. スバース・チャンドラ・ボース
  2. ヴァッラブバーイー・パテール
  3. キットゥール王妃チェンナンマ
  4. V.O.チダンバラム・ピッライ
  5. バガト・シン
  6. タングトゥーリ・プラカーシャム
  7. ケーララ・ヴァルマ・パラッシ・ラージャー
  8. シヴァーシー

で、インドの独立運動で日本で有名な人といったらやっぱりガンディー(ガンジー)さんであるわけです。なので、初見(パンフレットも読んでいなかったとき)は「この人がガンディーさんなのかな?」とか、「もしかしてこの人がラクシュミー・バーイーなのかな?」とかも思ったりしたんですが、全然違いました。

なぜこういった人選にしたのかは、前述のMayoさんがインタビューで切り込んでいます。ちょっと抜粋して引用します。

「日本ではガンディーさんが教科書にも載っているほど有名なんですが、他の革命家に関してはほとんど知らないと思います。なぜ彼を登場させず、他の独立活動家を優先させたでしょうか?」

「まさに今おっしゃったことが理由です。インドにはたくさんの独立運動家がいました。彼らは、命を落として、自分の個人的なことを犠牲にしました。バガト・シンや、ラーマ役の元になったアッルリー・シータラマ・ラージュは20代で命を落としています。
もちろんガンディーさんは偉大なリーダーでした。彼は国民をまとめて、一つの目的に進ませました。しかし、ガンディーさんの他にもたくさんの知られていない革命家がいます。そこでエンディングの曲を決めたときに、知られていない革命家を載せて、観客の皆さんに新しい情報を届けたいと思いました」

この質問は、Mayoさん自身もすごく悩んだそうです。

というのも、外から見ている我々は、インドの人はガンディーさんの元にひとつにまとまって革命を成し遂げたように思うのですが、インド内にはガンディーさんをそれほど好きでない人もいる、と。

インドの革命家は、当然なのですが、それぞれの方法論で独立を成し遂げようとしました。ガンディーさんは非暴力で革命を成し遂げようとした人なわけです。でも、たとえばバガト・シンは非暴力に限界を感じてテロを行ったりしているわけです。なので、それほど好きでない人もいるんですね。

そういったことを、こちらの日本向け動画で語っておられます。

www.youtube.com

でも、ラージャマウリ監督はRRRは「戦う革命家の物語」である、と。

なのでこういった人選にしたし、ここに興味を持って勉強してくれるとうれしい、とも言っていました。そして、それにすぐ影響を受けてあれこれ8人の革命家について調べている自分がおります。

あとはまあ、エンディングの歌は、きたるべきコロナ禍がおさまってマサラ上映(声あり)がくるときのために、歌詞つき動画を繰り返し見てある程度歌えるようになっておきましょう!

www.youtube.com

「血が騒いだら 旗をあげろ♪」のところの「エッタラ・ジェンダ!」

そのすぐあとのところの「コッタラ・コンダ!」

あとは、英雄が出てくるときの雄牛を「コーデ」と覚えておくと、それなりに歌えたりします。

カルカッタの情熱の雄牛」って出てきたらカルカッタ・コーデ♪」と地名を入れて歌い上げればいいのですね。

このあたりを抑えておくだけでも、マサラ上映時は盛り上がりますよ! ただし、今は映画館では声を出しちゃいけないので注意!(毎回見るたびに声を出すのを必死に我慢しています)

 

続きというか5回目を見に行ったので書いたのがこちら

shouyutechou.hatenablog.com

 

一連のRRRエントリも含め、まとめて本を作りました!

shouyutechou.hatenablog.com

 

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